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愛猫の「みみ」が逝った

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猫の「みみ」が、逝った。

苦しみながら、逝った。

口の中に貯まった血で息を詰まらせ、逝った。

息が出来なくて、苦しくて、やせ細った体のどこにこんな力が残っていたのか分からないくらい強い力で手と足を伸ばし、逝った。

早く死んでと願うわたしの前で、逝った。

もう少しで楽になれるよと心の中で語り掛けるわたしの前で、逝った。

そんな「みみ」に”だいじょうぶ、だいじょうぶ”と語り掛けながら背中をさすることしか出来ないわたしの前で、逝った。

7月10日。梅雨の終わりに。

病気の悪化

5月の半ば。「みみ」の食欲がなくなった。

ご飯の準備を始めると飛んでくる「みみ」なのだが、いつものような元気がない。

ご飯を1口、2口食べただけで残してしまう。

この時、ついに来てしまったなと、わたしは思った。

「みみ」の健康診断をしてもらった2月。血液検査の結果、腎臓の数値が1年前と比べて悪化していたからだ。

もともと腎臓の数値は良くなかった。衰弱しきった「みみ」を連れて帰った2年8か月前から。

だから、食欲がなくなった原因は腎臓の数値がさらに悪化したからだと容易に想像できた。

仕事を午前中で早退し、その日の夕方「みみ」を病院に連れていき血液検査をしてもらった。

やはり腎臓の数値は悪化していた。

さらに、エコーによる診断の結果、大腸の壁が一部厚くなっていた。

大腸の壁が厚くなったのはリンパ腫によるものではないかと、先生はおっしゃった。

診断を確定するにはお腹を切って病理検査をするしかないと。病理検査の結果が悪性リンパ腫だとして、これを完治させることが出来るかは分からない。それに、お腹を切ることにこの子が耐えられるかも分からない、ともおっしゃった。

そして先生はおっしゃった。この子の今後の治療方針を決めなければいけないと。

延命のために治療を続けるか。それとも、自然に任せるか。

さらに先生はおっしゃった。どちらを選択しても間違いではないと。家庭の事情と考え方は様々。だから、どちらを選択しても間違いではない、と。

旅立ち方

「みみ」はどうしてもらいたいのだろうかと、わたしは考えた。

考えて、考えて。

考えたけど分からなかった。

分からなかったけど、わたしは決めた。

自然に任せよう、と。

命を長らえるためだけに管につながれ、ベッドに寝たきりになるのは嫌だ。何度もお腹を切られるのも嫌だ。

そんなことをされるくらいなら自然に任せてほしい、と、わたしなら思う。

わたしは「みみ」がどうしてもらいたいのか分からなかった。

だから「みみ」には、わたしだったらどうしてほしいか、それをしてあげたいと思った。

だから、自然に任せることにした。

自然に任せるとは言っても、ただほったらかすわけではない。

痛みや不快感を取り除く処置は積極的に行う。

「みみ」には皮下点滴を行うことにした。積極的な水分摂取により脱水を予防するためと、体内の水分量を増加させて尿量を増やし、老廃物の排泄を促すことによって体を楽にするために。

この皮下点滴を毎日行ったのが功を奏し、10日ほどで食欲がほぼ平常時まで回復した。

しかも、食欲が落ち始めたときからはほとんど口をつけることのなかった平常時に食べていたご飯を、また食べることが出来るようになってきた。

食欲が回復してきたことから、皮下点滴の間隔を1日、2日と開け、最終的に4日開けた。

皮下点滴の間隔をあけても「みみ」の食欲と元気が落ちないことから6月の半ばで皮下点滴をやめることにした。

そしてこの時、次に体調を崩したときは、皮下点滴をしてもきっともう回復はしないんだろうな、と思った。

再び悪化

その3日後、再び食欲が落ちた。

食欲が落ちたときでも食べていたドライフードすら口をつけなくなってしまった。

正直、こんなに早く体調を崩すとは思っていなかった。

年を越すことは難しいだろうが、夏は越せるだろう。うまくいけば「みみ」と出会った11月までは生きてくれるだろうと、何の根拠もなく思っていた。

それが、こんなにも早く再び体調を崩してしまうとは。

そしてこの時わたしは思った。これ以上皮下点滴を続けることは延命のためだけの処置ではないのかと。苦しみを長引かせてしまうだけなのではないかと。

ならば、後は自然に任せよう。苦しまないように、眠るように旅立たせようと思った。

自然に任せようとは思っても、もう少し、1日でも、1時間でも長く「みみ」と一緒にいたい。そんな気持ちが湧き出てくる。

矛盾しているけど。

だから、せめてご飯だけは食べてほしいと思った。体力が温存できるように。位置にいでも長く一緒にいられるように。

ドライフードが食べられないなら、ウエットのフードはどうかと、何とか食べていたドライフードと同じメーカーのウエットフードをあげてみた。

するとそのウエットフードは食べてくれた。あげた分、全部食べてくれた。

嬉しかった。本当に嬉しかった。自分でもびっくりするくらい嬉しかった。

少しは元気になるかもと思った。

次の日、そのウエットフードの味違いを買った。いろんな味のフードを買った。店員さんもびっくりするくらい買った。

もっと食べてくれるものがあるかもしれないと思って。

しかしそれも長くは続かず、数日後にはウエットフードにも口をつけることは無くなってしまった。

ミルクもだめ。何も食べなくなってしまった。

どんどん痩せていく。びっくりするくらいのスピードで痩せていく。

ブラッシングをすると、ブラシが骨に当たる。かわいそうなくらい骨に当たる。

でも、ブラッシングをすると「みみ」は嬉しそうにしている。もっとしてとねだる。

逝く

このころから便の中に血が混じり始めた。下した便の中に。

やはり大腸は悪性のリンパ腫だったのだろう。

そして、口の中を気にし始めた。

わたしと出会った時「みみ」は酷い歯周病だった。粗悪な生活環境のため、体力が落ちて歯周病になってしまったのだろう。

歯周病はその後しっかり治療してもらったが、今また体力が落ちたことで再発したのだろう。そう思った。

だから、今更治療しても無駄だと思った。

しかしそれから数日後、口の中が出血し始めた。

多くは無いが口の端が血で滲んでいる。

でも、わたしは「みみ」を病院に連れていかなかった。

出血はすぐに止まるだろう。歯周病だからしょうがないと思って。

しかしそれから2日間出血はじわじわと続き、止まる気配がないことから病院に連れて行った。

そして先生に言われた。腎臓病の子は口の中が爛れることがある、と。

その4日後、「みみ」は逝った。

口の中に貯まった血で息を詰まらせ、逝った。

後悔

歯周病も出血の原因の一つかもしれなかったが、もし、もっと早く、口の中に違和感を感じ始めていた直後に病院に連れていったら、ひょっとしたら出血していなかったかも。

そう思うと、後悔しかない。

苦しそうに逝った「みみ」を思うと後悔しかない。

苦しまないように、眠るように旅立たせようと思っていたのに。

ごめんね「みみ」。

苦しかったね。

苦しませてしまったね。

パパは何もしてあげられなかったね。

ごめんね。

「みみ」苦しんでいるとき、早く死んで、と思った。

死ぬと「みみ」の苦しみが終わると同時に、パパも苦しみが終わると思った。

「みみ」の苦しんでいる姿を見なくて済むから。看病から解放されるから。もう、仕事を休まなくても済むから。

「みみ」が一番苦しかったのに。

ごめんね。

「みみ」のことだけを考えることが出来なかった。

ごめんね。

別れ

翌日、「みみ」を火葬した。

小さな棺桶に寝ている「みみ」。

棺桶で寝ている「みみ」は本当に寝ているように見えた。病気だったとは思えないような寝顔で。

そして棺桶には葬儀屋さんが用意してくれた花束と一緒にご飯を入れた。

「みみ」の好きだったご飯を入れてあげた。

お腹いっぱい、食べきれないほどのご飯を入れてあげた。

2週間以上ご飯を食べていなかったから。行った先でお腹を空かせないように。

そして別れの時、「みみ」の背中を擦った。

たくさん擦った。

固くなってしまった背中をたくさん擦った。

毛の一本一本まで冷たくなってしまった背中をたくさん擦った。

「みみ」が旅立ってから3日後、梅雨が明け、夏が来た。

わたしの梅雨は終わっていないのに。

あとがき

「みみ」が逝った後、体を綺麗に拭いてあげた。目ヤニや血で汚れた口も綺麗に拭いてあげた。

ブラッシングもした。「みみ」が好きだったブラッシングをしてあげた。ブラッシングの時唯一嫌がる尻尾も丁寧にブラッシングした。

爪も切ってあげた。しばらく切っていなかったので長く伸びていた。

だから「みみ」。今のあなたは誰が見ても綺麗だよ。

もし困ったことがあっても今の「みみ」なら誰かが助けてくれるよ。出会った時のボロ雑巾みたいな体じゃないから。

もし、いい人がいたらその人と一緒に暮らしなさい。今の「みみ」なら一緒に暮らしてくれるよ。

でも、もし「みみ」が許してくれるなら、パパはもう一度「みみ」と一緒に暮らしたい。

もう一度「みみ」の声を聴きたい。

もう一度「みみ」の柔らかい体を触りたい。

もう一度膝の上に「みみ」に乗ってほしい。

同じ失敗はしないから。

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