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愛猫の「みみ」が旅立って2か月が過ぎました

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愛猫の「みみ」が旅立って2か月がたった。

「みみ」が旅立った日の記憶

「みみ」が旅立ったのは梅雨の終わり。とても蒸し暑い、そんな日だったように思う。

雨が降っていたかもしれない。

薄暗い日だった。そんな記憶が何となくある。

「みみ」が旅立った後、体を綺麗に拭いてあげ、時間をかけてブラッシングをし、爪も切った。

旅立った先で、綺麗な「みみ」でいてもらいたかったから。

もう二度と体を拭くことも、ブラッシングをしてあげることも、爪を切ってあげることも出来なくなるから。

ブラッシングをしていると「みみ」の体から温もりがなくなっていく。

爪を切っていると「みみ」の体が冷たくなっていく。

綺麗になった「みみ」を好きだったベッドの上に眠らせた。

一息ついたあと「みみ」に触れると冷たくなっていた。

固くなっていた。

旅立ってから1時間程しかたっていないのに。

この記憶はしっかり残っている。

あっという間で、まだ2か月

「みみ」が旅立った後の1か月はあっという間に過ぎた。

1か月が過ぎた日、「もう1か月経ったのか」、そんなことを思った。

でも、その後の1か月は、長かった。

同じ1か月のはずなのに。

たぶん、いままでで一番長く感じた1か月。

旅立ちが近いとわかった時、「みみ」と海が見える場所に行った。

そこで夕陽をみた。

「みみ」に海と夕陽を見せてあげたかったから。

わたしが好きな海と夕陽を見せてあげたかったから。

「みみ」が旅立った翌日、火葬場へ向かう途中、その海の見える場所に立ち寄った。

「みみ」にもう一度海を見せてあげる。

それが、「みみ」とわたしの別れの儀式の様に思えたから。

まだ2ヵ月しか経っていない。

ずいぶん前の事のように感じるけれど。

隙間

「みみ」が旅立って、心の中に隙間が出来た。

「みみ」がいたとき、心の中には「みみ」のための場所があった。

その場所は、「みみ」を見ることや、触れることや、声を聴くことで満たされていた。

「みみ」が旅立ち、「みみ」を見ることや、触れることや、声を聴くことが出来なくなったことで心の中の「みみ」の場所が空いてしまい、隙間になってしまった。そんな気がする。

今はその隙間に「みみ」の記憶を詰め込んでいる。

ありったけの記憶をかき集めて、詰め込んでいる。

そうしないと寂しいから。

これから

心の中の隙間が日に日に小さくなっていく、そんな気がする。

隙間に詰め込んだはずの「みみ」の記憶がどんどん零れ落ちている。そんな気がする。

そして、記憶が零れ落ちで再びできてしまった隙間がどんどん小さくなっていく、そんな気がする。

これからも。

でも、もしできることなら、その心の隙間を大きく広げ、 その場所を「みみ」を見ることや、触れることや、声を聴くことで満たしたい。

もう一度。

わたしが死んだ後でもいいから。

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